2008年5月12日 (月)

さらっといきたい。

今日はNHKマイルカップを見に…「行かなかった」。
というか家でだらだらしてたらもう発走時間。それも電話中の友人に教えてもらう体たらく。
やー、だってねえ。精神的に盛り上がるもん一切無いんだから仕方ない。なんかもう、このG1て歴史的使命を終えてるんじゃなかろうか。
それはともかく。
テレビ観戦とはいえ、見るからには軽く、ほんとに軽く予想も立ててみる。
軸は四位アニキのディープスカイ。対抗はまあ、実績的にブラックシェルってとこ?クロフネ産駒特有の多少じれる脚で決め手がネックになったとしても、雨で馬場が渋った分、地力勝負になって上位浮上も十分あり得る…て感じか?

とか思って観戦してたら…。来たよ、これw。ドンピシャじゃん。
なんだそりゃ。
あはは。冴えてるなあ。馬券買ってないと…。
どーせ、人気サイドで決着して馬券も大したことなかろう…
…って馬連1980円もつけてるよ!
ぐおー…。なんじゃ、そりゃ…。

ああ、なんで買わずに予想したらこんなにさらっと冷静に当てられるんだ。悲しい。
てか現場にいたら絶対「ブラックシェル?いらねーよ」とか抜かして叩っ切ってる自分が想像できるから(もしくはいらん馬券をしこたま買って儲けが無くなってるとか?)余計悲しくなる。
ああ、さらっと普通に予想できる強い心が欲しい。

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2008年4月29日 (火)

MSVその続き

で、またMSVの話。

今日、会社の昼休みに近所のヨドバシに買い物に出る。
目的は先日買い込んだザク系MSVとミキシングするためのHGUC量産型ザクを買うため。(…勤め先がこういう買い物しても変に思われない会社で本当によかったw)
売り場について、HGUC量産型ザクを探すが…。無い。もう一度棚を丹念に探すがやはり無い。…売れとる。売り切れとる。
これはつまり…俺と全く同じことを考える(おそらく)オッサンが近所に結構いた、という事だろう。
あちゃ~、そらみんなそのくらいの事考えるわな。
というわけで成型色以外ほぼ同内容のHGUCシャアザクを2個買ってきました。これも無ければ棚に余ったガルマザクを買うまでの話だったわけだがw(バルカンの穴はパテで埋めりゃいいし)。日曜近所でHGUC量産型ザクを既に一個押さえてるからとりあえず計三個。ひとまずは十分だろう。

売り手として考えたら、旧キット再販に連動して改造目的により新キットも動くってのは意外なところに意外な需要があるもんだと思う。あとは一時的に変に売れたHGUC量産型ザクを追加生産して、それらが店頭に並ぶころには波は引いてて、店頭の肥やしと化さないことを祈るのみ…っていらん世話か。

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2008年4月28日 (月)

MSV!

長いことブログ放置して、結局またプラモの話…。

先週、MSVが再販されたので、いろいろ買ってみた。
これがまたザクばっかりなんだがw

試しに仮組みしたマインレイヤー(これを組むのは10ウン年ぶり、人生三度目?)を見て、改めてこの時代のバンダイプラモの良さに触れた気がした。

今見ると、そりゃ出来は正直厳しい部分も沢山あるけど、なんていうのか、ものすごく真摯なモノ作りにおおげさでなく打たれるものがある。
かつて84年当時、これを設計した人らはいわゆるオタクなんかじゃなくって、どちらかといえばプロフェッショナルの職人とでもいうべき人たちなんだろうけど、設定画を丁寧に読んだ痕跡を感じる。
なんといっても足の甲のライン、これがただ単純に盛り上がっているだけでなく、つま先に至るにつれて、えぐれた逆アールへ変わっていく部分を拾っている事に感心した。
そう、設定画のザクの右足のつま先は確かにこう読み取れる。

こういうアニメモデルが手探りだった時代の真摯さというか愚直さは80年代終盤まで感じられたものだ。
例えば、旧0080シリーズ。似てるもの、似てないもの、出来のいいもの、悪いもの、製品によってばらつきを感じるシリーズではあったが、出渕メカの設定画を真正面で見た場合、横幅が広くなるという、デッサン力に起因する欠点など、そのまま立体にコンバートすれば不味い部分までクソまじめに拾っていて、今となっては微笑ましくすら思える。

で、マインレイヤー。
横から見た際の胴体の薄いこと。でも、昔の見た側面設定は確かに筋肉質の男性の胸のような断面形だったと思う。
意外だったのは、背中の腰部分。横のくびれだけじゃなくて(そりゃ当然あるけど)、背中側スカート上部にも有機的なくびれがある。ここにゆるいくびれを設定して腰に見せているんだな。ザクって胸からスカートが直に生えているからこうしないと「腰」として認識できない。で、この線て結構色気あると思う。こういう理屈じゃなくて生理に根ざしている処理はロボットであれ、ものすごく大事だ。このダイレクト感って手作業時代ならではだから、なのか?

会社の原型師と「昔のプラモって基本的に手作業だから、数値に置き換えにくい色気がある」みたいなことを話した。
そういうことを言うと二言目には「味が…」とか言いそうで回顧オヤジ的で嫌なんだが、確かにそうだから仕方がない。
これに比べりゃ、今のキットなんて単純な線が多い(あ、回顧オヤジ)。線の「数」は増えてるけど、クソつまんない線が多い。これはCAD、というより、それをコントロールする人間のせいだと思う。生きてる線、死んでる線、という言い回しがあるが、死んだ線を引いたキットが多すぎる。HGUCのヤクト・ドーガなんて無残極まりない。面と面を単純な曲面で繋ぐなんて、設計にコンピュータを導入し始めた時代のみすぼらしい国産自動車を思わせる下品な処理だ。

技術の進歩で基礎的な要素がいったん後退するのはいろんなジャンル(印刷物のオペレータの技術とか…)に見られることだが、これもまたそういうものなんだろう。

さて、このマインレイヤー、どう組もう。今なら逆にごく普通に組んで、キットそのものを愛でる、というのが正解な気がする。
古いキットのいいところは単純な構造ゆえ、いじるにせよ、素組にせよ気楽に組めるところだな。

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2008年3月 8日 (土)

劇場版「機動戦士ガンダム」を久しぶりに観る

久しぶりに観た。
しかし、知人に貰った「特別編」。
評判悪いよな、コレw。俺は初見だったが。

昨日寝る前に確認がてら、一作目の序盤と三作目の終盤だけ見たが、やはり面白いな。ガンダムは。
テレビ版的に言うと、1話と43話、アタマとシリだけ見たわけだが、一作目を見てる途中に「ヤバイ、これはそのまま全部観倒して寝坊しかねん」と大人(?)の判断が働いたから。

コレだけ著名な、語りつくされた作品にいまさらアレコレ言っても仕方ないが…(でも言う)。
まず、一作目。ガンダムにアムロが乗り込むまでの描写がとても丁寧だ。ディテールが、ではない。演出が。少年が巨大ロボットにいきなり乗り込んで戦う、という「ムチャクチャ」をとても丁寧に描いている。決して積極的でない主人公の動機付けと乗り込むまでの流れにすごいエネルギーを費やしているのに改めて感心した。こりゃ意欲作だわ。

で、三作目。さすがほぼ新作カット。いい絵だ。安彦良和はいい。
脚を撃たれて倒れるも直後、肩のキャノンでザクに反撃・撃破するガンキャノンがメチャメチャカッコいい!

そして「あなたはこんなにもに戦えるじゃない。あなたには守るべきものも、守るべき人も無いというのに。私には見える。あなたには帰るべき故郷も家族も無い。人を愛してもいない。」というララァの台詞。(適当な引用です。すんません)
なんかね、重すぎる。つか、ララァ酷い。そんな事言わないでほしい。
そりゃアムロも「だからなんだって言うんだよ!」とか反論にもなってない弱々しい返ししかできんて。

「愛する人のため、故郷のため」、動機なんていくらでも思いつけるように見えて、真に動機に足りうる理由や確信ってどれだけの人がどれだけ持って生きてるんだろうな。よくわかんねえ。他人には他人の理由がある、とは思うが、理由なんか無くたってとりあえず生きていける適当な生物なのが人間なんじゃないかとも思う。
「愛する人のためにすべてを捨てられるとか、そんな言葉はもう嫌だ。」(by浅井健一)なんてな。
「今まで胸を張って生きてきた」なんてとても言えない人生送ってきた俺には耳が痛すぎて、いい歳こいた今になってもこの台詞は苦しい。

「人を愛してもいない」ってのも酷い言い草だ。酷いと感じるのは心当たりがあるからだろう。ホントにキツイ。
言い換えれば、ララァは「オメー、訳も無いのに、なんで生きてんの?」と真正面から聞いてるわけだ。あのね、ホントにね、そんな究極の問いを他人にぶつけるなと言いたい(涙目)。

あ、ロボットに乗る「とりあえず」の動機(=生き残るため)を描いてハナシが始まって、結局は戦う動機(≒生きる理由)を問われる終盤に至るのか(いまさらアホか、俺)。
やっぱすげえなガンダム(バカ発言)。

でも、この映画のエンディングは本当にいい。
崩壊するア・バオア・クーで一瞬死を覚悟するアムロ。しかし眼前に半壊したガンダム。ここでオモチャ丸出しの合体戦闘機が重要なツールとして機能すると。もう、このために存在したギミックかと思ってしまう。コアブロックシステムという設定がすんなりと、しかも有効にストーリーに織り込まれてて見事すぎる。
で、その果てにはホワイトベースの仲間達が待っててくれた、というわけだ。すげえ。今観ても超フツーに感動したw

最後太陽に消えていく乗り捨てられたコアファイターもいい。

アニメの中で、でなく、すべての映画の中で実は一番好きなエンディングかもしれん。
やっぱすげえなガンダム(またバカ発言)。

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2008年2月28日 (木)

コイツはマジで来たかもしんねえw

今月のモデルグラフィックスは…
MSV特集!!
うーん、こいつはもしかして風向きが珍しく俺の方へ…?
つーか、80年代ブーム来たか?w

…まあ、ライバル(?)2誌のガンダム合戦も相変わらずどこ吹く風のモデグラの特集だしな。

プロフィニッシャー岡やんもあさの氏も触れていたが、リアルロボットというかMSVって当時の小学生にとっては、精一杯の「背伸び」だったんだよなあ。
「スケールモデルっぽい汚しとかマーキングしてあるとシブイ!!」という。
…なんじゃそりゃw

「模型の解像度を高める(byモデグラ)」というごく一般的なプラモデルに接する際の気持ちも当然あったとは思う。
ただそれ以前に、模型歴の長いお兄さん方がキャラクターモデルにクソ真面目にスケールモデルの技法を放り込むという、下らないと言えば下らない、妄想遊びをやっているのが当時の小学生どもには、もの凄く経験に裏打ちされた余裕のある知的な(w)大人の遊びに見えて憧れた、という側面は絶対にあったと思う。アニメキット(ごとき)に本格的な模型の方法論をブチ込むなんて、なんか逆に大人っぽい行為だなと…。ま、全部俺のハナシだけど。
要するにお兄さん達の悪ふざけに小学生の自分も混ぜて欲しくなったんだな。

それに応じるように出現したのがMSV!
これにはヤラレた。アニメより格段に線を増した(今見たらそうでもない…)新デザイン群!、機能的(に見えた)ディテール!そして数々のオフィシャルだかアンオフィシャルだかわかんないけど深く掘り下げた(ように思えた)設定群!パーソナルマークの数々や知られざるエースパイロット達の活躍(全部文字情報。だがそれがいい。)!そしてそれまでの「真正面向きで見栄を切ったカッコいいロボット絵」の概念をひっくり返し、「子供扱いすんな!」という子供の叫びに応えるかのような、渋すぎる石橋謙一作のボックスアート!!

うーん、これはキた。アニメを起点にしながら(コレ重要)、文字情報と模型(箱絵含む)のみを頼りに宇宙世紀を勝手に妄想するという遊びの楽しさ。そしてくどいようだがそんな知的で(w)洒脱な(wwww)遊びに耽る自分ら自身に陶酔するという二重構造。
コレが小学生(当時)にとってのMSVだったと思う。

…で、ふと思うのは必ずしも子供の目線に立つ必要なんかないんじゃないか、という事だ。(うーん、なんか語弊があるな。)
子供が必ずしも子供の身長でしかモノを見ない、見ようとしていない、と思うのは大人の傲慢なんじゃないだろうか。それが結局「子供の背伸び」にすぎないにせよ、それでも子供は自分の背より少しナナメ上を見上げて生きている、と考えるべきなんじゃなかろうか。

今のバンダイの模型展開を見ると、とても親切だ。作りやすいように、色も塗らないでいいように、接着剤も要らないように、怪我もしないように、そしてみんな大好きなガンダムは4機も5機も番組開始時から登場。
企業努力(しかもハンパじゃない)の賜物と言ってしまえばそれまでだが、そんなガイド付きの冒険なんて面白いか?…それでも主役メカ“ガンダム”は売れているそうだが。「たかがプラモデル」くらい冒険したっていいんじゃなかろうか?

復刻された講談社刊の「機動戦士ガンダムモビルスーツバリエーション」の全3巻を改めて見ると…1巻はザク編、2巻はジオン編、そして3巻がやっと連邦編。そう、これこそまさに当時の気分だった。…しかしザクだけで一冊かよ!w
それは典型的ヒーロー像の放棄を大きく掲げた「ガンダム」が模型界にもたらした影響だろう。
「ヒーローロボットの残滓を残すもの」=「RX78」である以上、それは必然とも言えた。その流れを小学生も感じ、テレビに登場もしていないジオンのエースパイロットこそカッコいい、あるいはカッコいいと考える事がカッコいい(ややこしい)、そんな当時の異常事態を示すものだ。
「超強いロボット=ガンダム」より「物量で押す連邦相手に北アフリカ戦線でトロピカルドムを駆って戦う名も無きジオン兵」に思いを馳せるという、なんともこまっしゃくれてて、より隙間にはまり込むような遊びが多くの子供に支持されたからこそ、と思える。

AOZやSEED MSVなんて「ハーイよい子のみんな、ここで遊びましょうね」という大人にだけ都合のいい託児所にしか思えない。スーパーロボット“ガンダム”を出すだけ出しといて、その他の「敵」は有象無象に描いておいて、「さあ世界観を広げましょう」なんて無理なこった。
そんなのリアルロボットブーム当時、プラモ馬鹿売れで調子こいたバンダイが「そうか、敵メカがトレンドか!」と勘違いして出したゴッドマーズのやられメカのプラモと何が違う?(…あれはあれで今見ると味あるけど)

さっき上で「アニメを起点にしながら」というのが重要と書いた。どういうことかというと、「アニメキットだけどリアルなプラモ作りたい!子供扱いしないで欲しい!」という話と「今のアニメは大人の鑑賞にも堪えうる映像作品的強度を獲得している、認めてくれ!」という80年代アニメブーム当時の空気は基本的に同質のものだったんではなかろうか、という事。
自分の手に届く範囲(アニメやプラモ)で自分の思いを本気で託せる媒体を手に入れた、世界に相対する事が出来る自分の場所を獲得した、その事を大人に認めて欲しかったんだろう、と今になって思う。「なんてわがままで都合のいい言い分だ」とも我ながら(自分もその一員であったことは間違いない)思うが、なんというか、「オタク」という言葉で括られて一応のポジションを獲得した現在よりはるか以前、そんな「思春期」としか言えない時代がオタク世界もあったのだろう。

今改めて眺めるMSVが見せてくれるのは帰らぬ過去の熱狂と希望、若さ故の焦燥と憤り、その記憶…って恥ずかしい思春期そのものじゃねーかw

あまりにも時間は過ぎた。懐かしむ以上の事は出来るはずもない。
かつて通いなれた遊び場は、子供騙しの託児所に成り果てた。
今を生きるには今なりの戦い方・遊び方を考えるべきだわな。Gmcannon

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2008年2月27日 (水)

ワンフェスに行ってきた。

日曜日はワンフェスに行ってきた。
仕事で。
休み時間は個人ディーラー方面を回ろうと思っていたのだが、疲れもありサラッと流して終了。
いかんなあ。こういう体力をケチるようでは。

前回も今回も思ったが「おっ」と目を惹く個人ディーラーはかつてワンダーショウケースで紹介されていたところだったりして、「なんだよ」って気分。
別にあさの信者って訳ではないんだが、選ぶには当然理由がある、という感じ。
ネット某所では「あさの」と聞くとボッコボコにするし、擁護の姿勢を見せるとソイツもボッコボコになるわけだが(まあ、彼の語り口に読者を不快にさせる部分は少なからずあるわけで…)、しかし、この業界を長く深く見つめてきた点はやはり認めざるを得ないような。
WSCに選出された彼らのガレキビルダー的技巧はわりとまちまちなんだけど、共通してWFという風景の中から突出したオーラを放っているのは俺の拙い審美眼と経験からもはっきりわかる。
それが商業として成り立つか、というのとはまた別次元のハナシだけども。

それはそれとして、コトブキヤのヘルハウンド早く作りたいなあ。
Hellhound

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2008年2月10日 (日)

80年代フェア好評開催中

実家で発掘した80年代アニメ系ガラクタ書籍を会社の休憩室に置いてみたところ、一部に好評。
それらの冊子に記された文字情報を読む、というより、当時の印刷物に特有のニュアンス(キャッチコピーや文体、アートディレクション等々)を「鑑賞」しているという感じ。
かつて単なる情報伝達のメディアであったそれらは、20年以上の時を経て、それそのものが時代の空気の記録となった、ということなんだろう。

自分たちの今現在の嗜好や価値観、大げさに言えば精神が、何によって紡がれているのか、それを確認するのも面白い作業だ。

それにしても、これらのアニメ付録冊子や模型情報誌が20年以上もの時間を経て、こんなところで熟読される日が来るとは、購入した母校の先輩にも、そして俺にも予測できなかった。…当たり前かw 捨てないで良かった、かな?

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2008年1月27日 (日)

80年代の思い出たち

思い出したように投稿してみる。

正月に実家に帰った際、80年代のアニメというかオタク系の本がアホほど見つかった。
古いアニメ雑誌、その付録、ガンプラブーム時代に模型メーカーより出版された情報誌、アニメ映画・OVAのチラシ類…。
それらをクリアーの衣装ケースに両親がぶち込んでいたのを偶然発見したのだ。こいつらは高校時代にマン研の連中が備品整理の際、ゴミとして始末しようとしていた、俺らより更に5年以上前の先輩が残していったモノ。それを「そんな貴重なもの(そうかw?)捨てるなら俺にクレ!」と俺が引き取ったものだ。
改めて考えると、この衣装ケースいっぱいのオタ系ガラクタ書籍、どうやって学校から家まで持ち帰ったんだろう、俺。メチャメチャ重いのに。アホといえばそれまでだが、我ながら呆れる熱意だ。で、それらは俺が上京した後、なんの事は無い、結局15年以上も死蔵されていた、と。
見つけた瞬間は、あまりの懐かしさに思わず声を出して狂喜したが、特定の層(古株のオタ)以外、ゴミでしかないこれらをどうしたものか…。結局めぼしいものを更に選んで東京の俺のアパートへ郵送することに。目的は俺だけのためでなく、会社の古株のオタども見せてワイワイ言うためだ。同じ時代の同じ空気を吸った人間ならきっとわかってくれるはずだ、いやわかってもらうために東京に送ると言える。俺一人で摂取するにはあまりに激濃な時代のスープ。彼らにも飲ませる!!

80年代初~中期。あの空虚で無責任な明るさに満ちた空気。アニメや模型がいい加減な華やかさを誇った時代。ガラクタを見るにつけ、それらの記憶が蘇る。
過渡期が爛熟へ至り、やがて来る停滞も知らぬあの時代。「あのころは良かった」などと脳天気な台詞、口が裂けても言えないが、アニメや模型が更なる地平を見せてくれるはず、そして未来があるはずと信じていた頃の記憶が再確認された。そんな2008年正月。

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2007年10月29日 (月)

天皇賞秋2007

メインレース直前にちんたらと東京競馬場へ。
台風一過の快晴。
パドックの掲示板側に陣取ってパドックを見つつ写真を撮る。
西日が異常にまぶしい。帽子が欲しい。

レースを見にいつものようにメモリアル60の4階へ。
それほど混んでない。
武-サムソンの抜群のスタートに驚く。
直線早めに抜け出したサムソンは三馬身半差の快勝。
なんだ、この馬やっぱメチャメチャ強いじゃないか。
これまでの辛勝ぶりがウソのような快勝劇。
ま、これで後ろの4、5頭が絡む斜行・玉突きが無ければもっと気分の
いい勝利なんだが。
とはいえ、武が無理なく無駄なくスムーズに持ってきたのが最大の
勝因か。やっぱ武すげえ。

ポップもダイワも来なかったので俺の三連複は水泡と帰したとさ。
手を広げすぎたワリに結局馬券がモノにできないという惨状が続く。
何かを選ぶってことは何かを捨てる事と同義だと何処かで誰かが言っていた。
そうかもな。決断しないですべてを失うバカを未だに演じていると思う。
それがたとえ競馬とはいえ。

単複から、いや、単勝からやり直すか。

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2007年6月 9日 (土)

ザクVer.2.0

会社でザクVer.2.0のパチ組みを見る。
よくできてる。
細かいことを言い出せばキリがないけど(胸正面のゆるいエッジはもう少し下のほうがいいとか、つま先可動部の愛想のないぶった切り処理なんとかしろとか)、完成度は高い。
首が向いた方向に視線を連動させるモノアイのギミックはかなり気が利いてる。「ザク」を表現する仕掛けとして見事なパッケージングだと思う。アクチュエータ状の可動部もリアリティという観点から考えると疑問もあるが、うまくまとめてある。
なるほど。これと同時進行だったからHi-νはあそこまでグダグダなのか。設計の主戦力をザクに回し、余剰戦力でHi-νを適当にこなしやがったな、と。

全体としては例によって「スチロール樹脂とABS樹脂で出来た高密度なアクションフィギュア」という印象だが、プロダクトとしての完成度には思わず唸る。組み立て式アクションフィギュアとなった現在のMGにおいて一つの到達点なのだろう。この完成度をもって今後のマスターグレードの方向性をメーカーが示したと、そう考えるべき製品に思える。

MGシリーズ当初の対象年齢を上げ、形状やプロポーションの解像度を高めた模型的でマニアックwなアプローチにはある程度見切りがつけられ、組み立て模型の姿を借りた玩具にシフトしきった事にはこれ以上、何も言うまい。
ガンプラは最初期のブームからして「ガキ向けのキャラクターキット」をいい年したモデラーが大人気なく本気で改造してリアルに仕上げるという遊びを起爆剤に成長したものだ。それが結果として元来の本質たる玩具に回帰したとしても、それはある意味自然なことかもしれない。
「ガンプラの模型的アプローチ」とはもとよりイレギュラーな遊びだったのだと、この気の利きすぎるくらいよく出来た組み立て式おもちゃは教えてくれている…ように感じる。

インストにある「ABS樹脂は有機溶剤で破損しやすくなる云々」の文言は要するに「パチ組み推奨」ということなのだろう。塗装に向かない素材を選んだ時点で「消費者各人が好き勝手に色を塗る模型」として向き合うことをメーカーは推奨しない、と明言しているように感じる。
「組み立て・塗装のストレスの軽減」と「組み立て・塗装はストレスそのもの」では似ているようで全く違う。作り手によるゆらぎこそが模型の最大の魅力と俺は考える。巧けりゃ巧いなりに、下手なら下手なりに、「ここはこうだ」という作り手の思い込みを投影出来る(時には夢想や挫折で終わろうと)、可能性と妄想を孕んだ夢の箱こそが「プラモデル」だと思ってきたし、これからもそれは変わらない。
「塗装や組み立てが面倒だとか、それでいて誰が作っても高い完成度が欲しいとか言うならプラモなんか売るのも買うのもやめて完成品だけ売り買いしなよ」、と思うこともあったが、皮肉でも冗談でもなく、今現在のMGは限りなくそれに近い。
結局、親切すぎるほどのプロダクトであるがゆえに失われた模型的な遊びの要素は各消費者レベルの意識次第というところに落ち着いた、と。ま、25年前からある意味そうだったわけだし。ただ、玩具として完成された現在のMGを「模型」にするための作業は決して楽でもなけりゃそれほど楽しくも無いんだよな。そういう意味でコトブキヤのキットはバンダイに精度で劣るも、「模型」であることをやめていない分、モデラー的には断然楽だと思う。願わくばコトブキヤのキットは不用意に触れば怪我するような、文字通り「エッジの立った」製品であり続けて欲しい。

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