2008年4月29日 (火)

MSVその続き

で、またMSVの話。

今日、会社の昼休みに近所のヨドバシに買い物に出る。
目的は先日買い込んだザク系MSVとミキシングするためのHGUC量産型ザクを買うため。(…勤め先がこういう買い物しても変に思われない会社で本当によかったw)
売り場について、HGUC量産型ザクを探すが…。無い。もう一度棚を丹念に探すがやはり無い。…売れとる。売り切れとる。
これはつまり…俺と全く同じことを考える(おそらく)オッサンが近所に結構いた、という事だろう。
あちゃ~、そらみんなそのくらいの事考えるわな。
というわけで成型色以外ほぼ同内容のHGUCシャアザクを2個買ってきました。これも無ければ棚に余ったガルマザクを買うまでの話だったわけだがw(バルカンの穴はパテで埋めりゃいいし)。日曜近所でHGUC量産型ザクを既に一個押さえてるからとりあえず計三個。ひとまずは十分だろう。

売り手として考えたら、旧キット再販に連動して改造目的により新キットも動くってのは意外なところに意外な需要があるもんだと思う。あとは一時的に変に売れたHGUC量産型ザクを追加生産して、それらが店頭に並ぶころには波は引いてて、店頭の肥やしと化さないことを祈るのみ…っていらん世話か。

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2008年4月28日 (月)

MSV!

長いことブログ放置して、結局またプラモの話…。

先週、MSVが再販されたので、いろいろ買ってみた。
これがまたザクばっかりなんだがw

試しに仮組みしたマインレイヤー(これを組むのは10ウン年ぶり、人生三度目?)を見て、改めてこの時代のバンダイプラモの良さに触れた気がした。

今見ると、そりゃ出来は正直厳しい部分も沢山あるけど、なんていうのか、ものすごく真摯なモノ作りにおおげさでなく打たれるものがある。
かつて84年当時、これを設計した人らはいわゆるオタクなんかじゃなくって、どちらかといえばプロフェッショナルの職人とでもいうべき人たちなんだろうけど、設定画を丁寧に読んだ痕跡を感じる。
なんといっても足の甲のライン、これがただ単純に盛り上がっているだけでなく、つま先に至るにつれて、えぐれた逆アールへ変わっていく部分を拾っている事に感心した。
そう、設定画のザクの右足のつま先は確かにこう読み取れる。

こういうアニメモデルが手探りだった時代の真摯さというか愚直さは80年代終盤まで感じられたものだ。
例えば、旧0080シリーズ。似てるもの、似てないもの、出来のいいもの、悪いもの、製品によってばらつきを感じるシリーズではあったが、出渕メカの設定画を真正面で見た場合、横幅が広くなるという、デッサン力に起因する欠点など、そのまま立体にコンバートすれば不味い部分までクソまじめに拾っていて、今となっては微笑ましくすら思える。

で、マインレイヤー。
横から見た際の胴体の薄いこと。でも、昔の見た側面設定は確かに筋肉質の男性の胸のような断面形だったと思う。
意外だったのは、背中の腰部分。横のくびれだけじゃなくて(そりゃ当然あるけど)、背中側スカート上部にも有機的なくびれがある。ここにゆるいくびれを設定して腰に見せているんだな。ザクって胸からスカートが直に生えているからこうしないと「腰」として認識できない。で、この線て結構色気あると思う。こういう理屈じゃなくて生理に根ざしている処理はロボットであれ、ものすごく大事だ。このダイレクト感って手作業時代ならではだから、なのか?

会社の原型師と「昔のプラモって基本的に手作業だから、数値に置き換えにくい色気がある」みたいなことを話した。
そういうことを言うと二言目には「味が…」とか言いそうで回顧オヤジ的で嫌なんだが、確かにそうだから仕方がない。
これに比べりゃ、今のキットなんて単純な線が多い(あ、回顧オヤジ)。線の「数」は増えてるけど、クソつまんない線が多い。これはCAD、というより、それをコントロールする人間のせいだと思う。生きてる線、死んでる線、という言い回しがあるが、死んだ線を引いたキットが多すぎる。HGUCのヤクト・ドーガなんて無残極まりない。面と面を単純な曲面で繋ぐなんて、設計にコンピュータを導入し始めた時代のみすぼらしい国産自動車を思わせる下品な処理だ。

技術の進歩で基礎的な要素がいったん後退するのはいろんなジャンル(印刷物のオペレータの技術とか…)に見られることだが、これもまたそういうものなんだろう。

さて、このマインレイヤー、どう組もう。今なら逆にごく普通に組んで、キットそのものを愛でる、というのが正解な気がする。
古いキットのいいところは単純な構造ゆえ、いじるにせよ、素組にせよ気楽に組めるところだな。

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2008年2月28日 (木)

コイツはマジで来たかもしんねえw

今月のモデルグラフィックスは…
MSV特集!!
うーん、こいつはもしかして風向きが珍しく俺の方へ…?
つーか、80年代ブーム来たか?w

…まあ、ライバル(?)2誌のガンダム合戦も相変わらずどこ吹く風のモデグラの特集だしな。

プロフィニッシャー岡やんもあさの氏も触れていたが、リアルロボットというかMSVって当時の小学生にとっては、精一杯の「背伸び」だったんだよなあ。
「スケールモデルっぽい汚しとかマーキングしてあるとシブイ!!」という。
…なんじゃそりゃw

「模型の解像度を高める(byモデグラ)」というごく一般的なプラモデルに接する際の気持ちも当然あったとは思う。
ただそれ以前に、模型歴の長いお兄さん方がキャラクターモデルにクソ真面目にスケールモデルの技法を放り込むという、下らないと言えば下らない、妄想遊びをやっているのが当時の小学生どもには、もの凄く経験に裏打ちされた余裕のある知的な(w)大人の遊びに見えて憧れた、という側面は絶対にあったと思う。アニメキット(ごとき)に本格的な模型の方法論をブチ込むなんて、なんか逆に大人っぽい行為だなと…。ま、全部俺のハナシだけど。
要するにお兄さん達の悪ふざけに小学生の自分も混ぜて欲しくなったんだな。

それに応じるように出現したのがMSV!
これにはヤラレた。アニメより格段に線を増した(今見たらそうでもない…)新デザイン群!、機能的(に見えた)ディテール!そして数々のオフィシャルだかアンオフィシャルだかわかんないけど深く掘り下げた(ように思えた)設定群!パーソナルマークの数々や知られざるエースパイロット達の活躍(全部文字情報。だがそれがいい。)!そしてそれまでの「真正面向きで見栄を切ったカッコいいロボット絵」の概念をひっくり返し、「子供扱いすんな!」という子供の叫びに応えるかのような、渋すぎる石橋謙一作のボックスアート!!

うーん、これはキた。アニメを起点にしながら(コレ重要)、文字情報と模型(箱絵含む)のみを頼りに宇宙世紀を勝手に妄想するという遊びの楽しさ。そしてくどいようだがそんな知的で(w)洒脱な(wwww)遊びに耽る自分ら自身に陶酔するという二重構造。
コレが小学生(当時)にとってのMSVだったと思う。

…で、ふと思うのは必ずしも子供の目線に立つ必要なんかないんじゃないか、という事だ。(うーん、なんか語弊があるな。)
子供が必ずしも子供の身長でしかモノを見ない、見ようとしていない、と思うのは大人の傲慢なんじゃないだろうか。それが結局「子供の背伸び」にすぎないにせよ、それでも子供は自分の背より少しナナメ上を見上げて生きている、と考えるべきなんじゃなかろうか。

今のバンダイの模型展開を見ると、とても親切だ。作りやすいように、色も塗らないでいいように、接着剤も要らないように、怪我もしないように、そしてみんな大好きなガンダムは4機も5機も番組開始時から登場。
企業努力(しかもハンパじゃない)の賜物と言ってしまえばそれまでだが、そんなガイド付きの冒険なんて面白いか?…それでも主役メカ“ガンダム”は売れているそうだが。「たかがプラモデル」くらい冒険したっていいんじゃなかろうか?

復刻された講談社刊の「機動戦士ガンダムモビルスーツバリエーション」の全3巻を改めて見ると…1巻はザク編、2巻はジオン編、そして3巻がやっと連邦編。そう、これこそまさに当時の気分だった。…しかしザクだけで一冊かよ!w
それは典型的ヒーロー像の放棄を大きく掲げた「ガンダム」が模型界にもたらした影響だろう。
「ヒーローロボットの残滓を残すもの」=「RX78」である以上、それは必然とも言えた。その流れを小学生も感じ、テレビに登場もしていないジオンのエースパイロットこそカッコいい、あるいはカッコいいと考える事がカッコいい(ややこしい)、そんな当時の異常事態を示すものだ。
「超強いロボット=ガンダム」より「物量で押す連邦相手に北アフリカ戦線でトロピカルドムを駆って戦う名も無きジオン兵」に思いを馳せるという、なんともこまっしゃくれてて、より隙間にはまり込むような遊びが多くの子供に支持されたからこそ、と思える。

AOZやSEED MSVなんて「ハーイよい子のみんな、ここで遊びましょうね」という大人にだけ都合のいい託児所にしか思えない。スーパーロボット“ガンダム”を出すだけ出しといて、その他の「敵」は有象無象に描いておいて、「さあ世界観を広げましょう」なんて無理なこった。
そんなのリアルロボットブーム当時、プラモ馬鹿売れで調子こいたバンダイが「そうか、敵メカがトレンドか!」と勘違いして出したゴッドマーズのやられメカのプラモと何が違う?(…あれはあれで今見ると味あるけど)

さっき上で「アニメを起点にしながら」というのが重要と書いた。どういうことかというと、「アニメキットだけどリアルなプラモ作りたい!子供扱いしないで欲しい!」という話と「今のアニメは大人の鑑賞にも堪えうる映像作品的強度を獲得している、認めてくれ!」という80年代アニメブーム当時の空気は基本的に同質のものだったんではなかろうか、という事。
自分の手に届く範囲(アニメやプラモ)で自分の思いを本気で託せる媒体を手に入れた、世界に相対する事が出来る自分の場所を獲得した、その事を大人に認めて欲しかったんだろう、と今になって思う。「なんてわがままで都合のいい言い分だ」とも我ながら(自分もその一員であったことは間違いない)思うが、なんというか、「オタク」という言葉で括られて一応のポジションを獲得した現在よりはるか以前、そんな「思春期」としか言えない時代がオタク世界もあったのだろう。

今改めて眺めるMSVが見せてくれるのは帰らぬ過去の熱狂と希望、若さ故の焦燥と憤り、その記憶…って恥ずかしい思春期そのものじゃねーかw

あまりにも時間は過ぎた。懐かしむ以上の事は出来るはずもない。
かつて通いなれた遊び場は、子供騙しの託児所に成り果てた。
今を生きるには今なりの戦い方・遊び方を考えるべきだわな。Gmcannon

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2008年2月27日 (水)

ワンフェスに行ってきた。

日曜日はワンフェスに行ってきた。
仕事で。
休み時間は個人ディーラー方面を回ろうと思っていたのだが、疲れもありサラッと流して終了。
いかんなあ。こういう体力をケチるようでは。

前回も今回も思ったが「おっ」と目を惹く個人ディーラーはかつてワンダーショウケースで紹介されていたところだったりして、「なんだよ」って気分。
別にあさの信者って訳ではないんだが、選ぶには当然理由がある、という感じ。
ネット某所では「あさの」と聞くとボッコボコにするし、擁護の姿勢を見せるとソイツもボッコボコになるわけだが(まあ、彼の語り口に読者を不快にさせる部分は少なからずあるわけで…)、しかし、この業界を長く深く見つめてきた点はやはり認めざるを得ないような。
WSCに選出された彼らのガレキビルダー的技巧はわりとまちまちなんだけど、共通してWFという風景の中から突出したオーラを放っているのは俺の拙い審美眼と経験からもはっきりわかる。
それが商業として成り立つか、というのとはまた別次元のハナシだけども。

それはそれとして、コトブキヤのヘルハウンド早く作りたいなあ。
Hellhound

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2007年6月 9日 (土)

ザクVer.2.0

会社でザクVer.2.0のパチ組みを見る。
よくできてる。
細かいことを言い出せばキリがないけど(胸正面のゆるいエッジはもう少し下のほうがいいとか、つま先可動部の愛想のないぶった切り処理なんとかしろとか)、完成度は高い。
首が向いた方向に視線を連動させるモノアイのギミックはかなり気が利いてる。「ザク」を表現する仕掛けとして見事なパッケージングだと思う。アクチュエータ状の可動部もリアリティという観点から考えると疑問もあるが、うまくまとめてある。
なるほど。これと同時進行だったからHi-νはあそこまでグダグダなのか。設計の主戦力をザクに回し、余剰戦力でHi-νを適当にこなしやがったな、と。

全体としては例によって「スチロール樹脂とABS樹脂で出来た高密度なアクションフィギュア」という印象だが、プロダクトとしての完成度には思わず唸る。組み立て式アクションフィギュアとなった現在のMGにおいて一つの到達点なのだろう。この完成度をもって今後のマスターグレードの方向性をメーカーが示したと、そう考えるべき製品に思える。

MGシリーズ当初の対象年齢を上げ、形状やプロポーションの解像度を高めた模型的でマニアックwなアプローチにはある程度見切りがつけられ、組み立て模型の姿を借りた玩具にシフトしきった事にはこれ以上、何も言うまい。
ガンプラは最初期のブームからして「ガキ向けのキャラクターキット」をいい年したモデラーが大人気なく本気で改造してリアルに仕上げるという遊びを起爆剤に成長したものだ。それが結果として元来の本質たる玩具に回帰したとしても、それはある意味自然なことかもしれない。
「ガンプラの模型的アプローチ」とはもとよりイレギュラーな遊びだったのだと、この気の利きすぎるくらいよく出来た組み立て式おもちゃは教えてくれている…ように感じる。

インストにある「ABS樹脂は有機溶剤で破損しやすくなる云々」の文言は要するに「パチ組み推奨」ということなのだろう。塗装に向かない素材を選んだ時点で「消費者各人が好き勝手に色を塗る模型」として向き合うことをメーカーは推奨しない、と明言しているように感じる。
「組み立て・塗装のストレスの軽減」と「組み立て・塗装はストレスそのもの」では似ているようで全く違う。作り手によるゆらぎこそが模型の最大の魅力と俺は考える。巧けりゃ巧いなりに、下手なら下手なりに、「ここはこうだ」という作り手の思い込みを投影出来る(時には夢想や挫折で終わろうと)、可能性と妄想を孕んだ夢の箱こそが「プラモデル」だと思ってきたし、これからもそれは変わらない。
「塗装や組み立てが面倒だとか、それでいて誰が作っても高い完成度が欲しいとか言うならプラモなんか売るのも買うのもやめて完成品だけ売り買いしなよ」、と思うこともあったが、皮肉でも冗談でもなく、今現在のMGは限りなくそれに近い。
結局、親切すぎるほどのプロダクトであるがゆえに失われた模型的な遊びの要素は各消費者レベルの意識次第というところに落ち着いた、と。ま、25年前からある意味そうだったわけだし。ただ、玩具として完成された現在のMGを「模型」にするための作業は決して楽でもなけりゃそれほど楽しくも無いんだよな。そういう意味でコトブキヤのキットはバンダイに精度で劣るも、「模型」であることをやめていない分、モデラー的には断然楽だと思う。願わくばコトブキヤのキットは不用意に触れば怪我するような、文字通り「エッジの立った」製品であり続けて欲しい。

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2007年4月 7日 (土)

MGHi-νガンダム

HGUCのゼータを改めて作成開始せねば。
どんだけ放置してるんだ、と。
変に「アトハメ」などと考えるのがよくない。
バラバラになり過ぎても強度や精度に不安が出る。
普通にマスキングで対処しよう。
早く塗装できる状況まで進めねば。

それにしても最近のバンダイプラモに質の低い設計がわりと目立つ。
形状やギミック等、設計が拙いキットが少なくないようだ。
「なぜその形なんだ」「なぜその処理なんだ」と問いたくなるような。もちろん悪い意味で。
そういった製品の設計に携わったオペレータはまったくロボット模型の勘所を全く踏まえてない若い子なんだろうと想像する。

立膝優先のプロポーション、玩具丸出しの肘関節、何も考えずパーツをぶった切って仕込んだ可動部、煮詰まってない(というより良し悪しが判断できないまま決定された)形状。
「これは俺の○○じゃない!」などと各人の形状の好き嫌いを言い出せばきりが無いが、形骸化したフォーマットをなぞっただけの恐ろしく意識の低いグダグダな製品を結構見かける。
そして、MGHi-νガンダム。これ、ホントに誰のための製品なんだろう。プラモデルに存在するある種の「気持ち良さ」をここまで外すってのは並ではない。外国人が描いたオタク絵もかくや、という「全然わかってない」感が凄い。まさかHi-νでここまでやってくれるとは。

これを旧来のファンが望んでいたと?まさか。では新規ファン獲得?いや、こんなコストパフォーマンスの低いキット、若い子が喜ぶか?
この製品の存在意義のわからなさは昨今のバンダイキットでも類を見ない。

ここ10年のバンダイキットを見てきた人にはぜひ見て確認してほしい。お金もったいないけど。でも、絶対に驚くはずだ。ウェーブのプラ製ディテール素材を貼り付けたような彫刻やプラ板貼り付けたような足裏、オモチャ解釈の「ただ、可動域が広いだけ」の肘関節、気持ち悪い形状のスネ装甲。挙げればキリが無いが、とにかくすごい。何だコレ?
これまでの限界点を確実に突破している。底辺から。

「バンダイのプラモデルは玩具である」というのはおそらくバンダイの見解だろうし、それはそれで製品作りの方向としてアリだと思う。が、これは酷い。おもちゃか模型か、という以前にプロダクトとしての到達点の低さにめまいがする。

MGHi-νガンダムが売れたのか売れてないのか知らないけど、もし不発だったとしたらそれはタイトルが弱いせいで無くて、「製品がクソだから」とはっきり言っておきたい。
MG史上一、二を争う最駄作Hi-νガンダムの品質についての率直なインプレッションをホビー誌各誌が一切触れていない事にもバンダイを取り巻く模型業界の不健全さを見る思いだ。アレがアリなら大概のMGはアリってことになってしまう。こいつは難儀な踏み絵だ。

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